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一つ目小僧、異形、異能
 
 夢を見たことはあるでしょう。見たこと無いという人を捜す方が難しいかも知れない。この夢がどんなメカニズムで発生するのかは未だに解き明かされてはいませんが、無意識下におけるこの夢にこそ人間の隠された能力に繋がると言ったら信じられるでしょうか?
 
つまり、こういうことなのです。人間の無意識は脳の視覚野において目覚めているときも夢の映像を結んでいるのではないか、という仮定から始まります。ただ、目覚めているときは目からの情報の方が強烈なために無意識の結ぶ像は常人には知覚されない。だからこそ暗い夜間に人は眠るようになったのだと・・・。
 
そして、この夢を見るという行為が必要不可欠なるが故に人は眠る。人間の脳が覚醒時に得た情報を整理整頓するのが夢だという説もありますが、脳がある手段によって他の個体の脳と情報を共有する無線のインターネット上のパーソナルコンピューターの様なモノだったとしたら、世に言う超能力とか霊だとかいうモノの大半が説明できてしまうのです。
 
この説は
「宜保愛子・霊能力の真相」
ゆうむ はじめ 著
データハウス ISBN 4-88718-106-X
 
を参考にしていきますが多分に僕の考えも混じっています。
 
まずはこの「ゆうむ はじめ」氏の理論をネコババした京極夏彦氏の文章を紹介します。
 

 「それはあいつの目が悪いからだ。他人の記億が見えるんだ」

「何だと?」

私と中禅寺敦子は、ぽぽ同時に疑問の声をあげた。

「なあ、京極堂。頼むから僕らに解るようにいってくれないか。それは読心術とか、心霊術でいう透視とかいうもののことかね? 目が悪いのとどんな関係があるんだね?」

「読心術なんて阿呆なことをどうしていうんだい……君が心霊だの超能力だの、そういう考え方から脱却する気がないのなら話を聞いても無駄さ」

「とにかくその心霊術とか読心術という考え方だけは捨ててくれ」

なぜ……眠るとき目を瞑るのか解るかい?」

「遮断しておかないと勝手に情報が入って来てしまう。これは困るんだ。だが裏を返せば、遮断しても機能しているから、」

「夢が見える訳か」

「そこで、夢を見ているとき、いきなり目を開けたらどうなると思う?」

「混乱するだろうね」

「まあそうなんだが、これはつまり、活動写真を見ている最中にいきなり劇場が消えてしまったらどうなるか、そういう問題だ」

「見えなくなってしまうに決まっているじゃない。明るいところで映画は見られないわ」

「そう、虚像より実像の方が強烈なんだ・・・だから・・・光量の少ない夜寝るようになったとも考えられる。目を開けていても見えないからね」

「だからお化けの多くは光の少ない夜に登場する訳だな」

「さて、この夢見る仕組みを、能く覚えていてくれなくちゃあ困る」

「それが何か意味を持つのか?」

「記億が脳という蔵に納まっているのではなく……僕らの記憶が……漏れているという想像もまた難くない」

「じゃあ僕の考えていることが君や、敦子ちゃんに漏れているというのか? 僕には、君等の考えなんてさっぱり解らないぞ!」

「解るものか」

「君のいってるのは、矛盾じゃないか。そもそも君は読心術など阿呆だといったじゃないか」

「阿呆だよ。我々が通常、心とか考えと呼んでいるのは意識のことだ。意識とは心と脳の接触によってのみ誕生する。僕が漏れるといっているのは記憶であって意識ではない。他人の脳と他人の心で構成された他人の意識が何で第三者に解るものか

読心術はあり得ないという訳か」

「記億が漏れたとして、それはどんな状況を引き起こすの?」

「我々の脳はその漏れた記億を受信するとやはり意識上に再構成してしまう訳だ。しかし先程の夢つまり活動写真と同じ理屈で」

「あ、そう。見えないんだ」

「さあそこで、ここに目という器官からの情報の入力が極端に少ない人がいるとしよう。周りが暗ければ、銀幕には何が映るか」

「じゃあ榎木津は」

「そうだ。人の記億を再構成して見てしまう、やっかいな男なのだよ」

「信じられないわ。榎木津さんには他人の記億が解るんじゃなくて、見える訳ね」

「そう、何度もいうように、記憶には意識に登場して来ないものも沢山ある。ほら関口君、君などは能くど忘れというのをするじゃないか。脳がいくら記億を再構成してやっても、何らかの食い違いで、どうしても意識の舞台に上って来ない訳だ。失せ物なんてのはたいがい本人が無くしてしまう訳だから、脳は知っていることになる」

「だから榎木津には無くしたものの行方がぴたりと当てられた訳か・・・」

「でも兄さん、その、解らないこともないけど、私にはどうにも実感が湧かないわ」

私も同様だった。

「角膜に損傷を負った人が罹るシャルル・ボネ症候群という病気がある。真っ昼間ありもしないもの、例えば小鬼だとか、何だとかが見える病気だ。夢と違って、本人には覚醒しているという意識がちゃんとある・・・現実にはいないものだ、ということも解っている。これなどはとても近い感覚だろう」

「そのシャンソンみたいな病気の人はなぜ他人の記億が見えないんだ?」

「たぶん損傷する部位や…−それに右目か左目かという微妙な差があるのだろう」

「まあ、この手の話がほとんどすっきりと説明できる、という点で、僕は今のところこの仮説が気に入っているのだ」

「君は……その奇抜な着想をいったい何から得たのだ?」

「奇抜?そうかなあ」

「霊能者と呼ばれる人達の中には、視力に障害を持った人が実に多いことに気がつく。一柳田翁の論文に一つ目小僧はその昔の神職者の零落したイメエジではないかというのがある。彼は神職者の片目を潰すという民族儀礼の存在の可能性を示唆しているのだが、僕はその辺もこれに由来しているのではないかとも思っている」

「彼は子供の頃から視力が弱く、稀にそれが見えたらしい……その後、戦争中に照明弾をまともに食らって、彼は致命的に視力を失ってしまった。普通に暮らしてるが、榎木津の主目は今ほとんど見えないはずだ。皮肉なことに視力と引き替えにそれはますます能く見えるようになってしまった訳だが」

(以上『姑獲烏の夏』105〜121項)
 
以上の文章における理論は「ゆうむ はじめ」氏が唱えていた理論のパクリであると
津田庄一著「京極夏彦の偽」という本で徹底して糾弾されている。
ここで言う津田庄一と「ゆうむ はじめ」は同一人物である。
非常に興味深く、僕の一つ目小僧の話ともよく合致するので一部ご紹介しましょう。大部分をはしょってしまいますが、いくらかはご理解いただけると思います。興味のある方は上記原本をお読み下さい。
 
 
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宣保愛子の「霊が見える」メカニズム
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・・・彼女の場合、彼女の右目はまったく正常なので、同一画面上に、だぷって見えるという点なのだ。つまり、それぞれ情報源の異なるふたつの映像が、二重映しになって見えるのである。
 
 たとえば、「あなたの肩の上あたりに、おばあさんの霊が見えます」の場合、相談者の映像を正常な右目で、おばあさんの霊の映像を左目に相当する部分で見ている・・・このふたつの映像が重なり合って、さも「霊がその人についている」かのように彼女には感じられる。そして、いうまでもなく、彼女が見えるという霊の映像は、すべて彼女の脳の側から齎{もたら}されている情報なのである。
 
 なぜそう断言できるかというと、彼女は霊だけはでなく、その他にもさまざまなものが見えるのだが、たとえば、相談者の家の様子なども正確に見え、しかし彼女は、「家がその人についている」  守護霊ならぬ守護家、などといった事はけっして言わないからである。つまり、彼女が見えているその場所には、見えているものに相当する何らかの実体があるワケではなく、あくまでも情報が、見えているのだ。
 そしてその情報は、何度も言うが、彼女の脳の側から齋されているのである。
 
 
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霊は、服を着てあらわれる
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 守護霊とは、特定の入についていて、その人を守ってくれている霊だという。それが宜保愛子にどう見えるかというと
 
「だいたい、守ってあげようとする人の前か後にいたり、肩の辺りに見えたりします。横に見えることもあります・・・着ているものは、たいてい生前に愛用していたものが主で、お棺に入れたときの白装束ではありません。赤い服が好きだった人はその姿で、縞模様の着物が好きでいつも着ていた人ならば縞模様の着物で、しゃれた半襟をいつもつけていた仏さまはその姿で出てくるのです。髪形についても、生前とまったく同じ感じです。ほんとに不思議としかいいようがないほど、仏さまの典型的な生前の姿が私の眼前に現れてくるのです。」
 
*****************省略*******************
 
「これまでの霊槻から推定して、だいたい四〇パーセント程度の人に守護霊はついているといえます・・・つまり半数以上の人にはついていません」
 
「守護霊は一人とは限りません。多い人ですと三人も四人もついています」
 
「・・・もっとも早いケースとしては三歳くらいでも守護霊がつくことがあります。しかし、それは非常にパワーの弱いものです。通常は、早くて五歳くらいからつくとお考えになるほうがよいでしょう」
 
「守護霊はだいたい三代さかのぼったご先祖までと考えてよく、それ以前の古い仏さまはほとんど守護霊とはなっていません」
 
 
 この『守護霊』に関しての彼女白身の考察は、他の霊能者や霊魂学者たちと比べると、かなり際虹ったもので、既存の、いわゆる『霊魂や霊界の仕組み』などは、まったく下敷きにされていない・・・あくまでも、彼女のこれまでの経験則から導きたされた結果なのだ。
 
 特に最後の「あまり古い先祖は守護霊にならない」といった下りは秀逸で、「あなたには七代前の水子の霊がついている」とか「戦国時代の武将の霊が見える」などの、他の霊能者の発言とは一線を画している。これは後々、彼女が見ている霊(見ている情報)が、いかに正確かを証明することにもなるだろう。
 そして、これを別の観点におきかえて整理しなおしてみると
 
 守護霊(=人についているように見える霊)は、宜保愛子からみて、複数「見える」場合があれば、全く「見えない」場合もあり、五歳くらいから霊が「見え」、それ以下の子供に見える場合もあるが非常にうっすらとしか「見えず」、また、せいぜい三代前(曾祖父・曾祖母)までの霊が「見える」が、それより過去の先祖の霊は「見えない」  といった事になる。これはつまり、宜保愛子からみての、「見える、見えない」の話なのだ。
 
 そしてさらに、別の立場から考察してみると                     
 彼女に霊視されるところの、相談者にしてみれば、身内の死者に関する情報は、複数ある場合もあれば、余くない場合もあり、幼少の頃には情報がきちんとした形で保存されていないケースの方が多く(宜保愛子いわく「パワーが弱く」)、また保存できる死者の情報は、当然出会ったことのある人物に限られ、せいぜい三代前(曾祖父。曾祖母程度)までしか知りえない・・・といった理屈になる。
 
 そしてこの二つの事象は、見事に合致することになる。なぜなら、相談者が死者に関する情搬を保存している場合にのみ、それに合わせて宜保愛子には霊が見えるからだ。
 
 つまり、彼女の「守護霊が見える、見えない」の話は、彼女の先入観や見誤りなどではなく、むしろ相談者の状況をそっくりと反映していたのである。
 
 無論、霊魂や霊界の仕組みなどとは一切関係はない。すべては、相談者側に原因があって、このような見える、見えないのパターンが現れていたのである。
 
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1-宜保愛子が見えるという霊は、脳の側からもたらされた映像情報を見ており、現実の空間にある何かを見ているわけではない。
2-彼女が見る霊の姿はきわめて正確で、当事者しか知らないような(彼女が知るはずもない)事実か数多く含まれている・・・これについては、おそらく千件は越しているであろう、彼女のこれまでの霊視の実績が物語っているし、また幾つかの実験でも証明されている。
3-彼女の守護儒が見える、見えないのパターンは、霊視される側-相談者サイドの情報の有無(あるいはその状態)を見事に反映している。
 
 そして以上のような事柄から導きだされる結論はたったひとつしかない。
 宜保愛子は、相談者の脳に保存されている情報を見ていたことになる  脳に保存されている情報、いいかえれば「記憶」。      、
 つまり宜保愛子は、他人の記憶を見ることができるのである。
 
 
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霊は、生きている人とともに生きる
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 ちょうど私たちが、夢のなかで死者と会えるがごとくに、宜保愛子は死者と会うことができる。しかも、完全に目覚めた意識の状態で。そして彼女は、他人の記憶として保存されている死者と、会っていたのである。まさに、驚くべき物語だといえるだろう。
 
 これを霊だと解釈する以外に、彼女にしてみれば選択の余地があろうはずはない。
 
 しかし、もはやその正体は露呈されている。彼女が見えている「霊」とは、あくまでも他人の脳の中からもたらされた「情報」にすぎなかったのだ。それが記憶(=記録)である以上、霊が、生前の状態を越えて成長しつづけるなんて事はありえない(神などにもなりえない)。やはり、生前の姿に束縛されつつ出現せざるをえないのだ。
 
 死んだ人は、その時の年齢で(あるいは、それ以下の年齢で)、また、いかに悲惨な死に方をしようとも、霊としてあらわれる場合には、五体満足な立派な姿として・・・。
 
 私たちの脳のなかには、霊に相当する、死者に関しての精緻な情報が保存されている。肉親や、親しい知人などはより詳細に・・・顔立ちは勿論のこと、声やしゃべり方、ちょっとした癖や立ち居振る舞いに至るまで、また当人との関係や、人柄、趣味や好き嫌いなど・・・その人物を、リアルに表現するに充分なほどの細々とした情報が保存されている。
 
 そしてもし、死者の霊として、なんらかの実体があるものだと仮想したいのならば、それらは、私たちの脳のなかを棲処としており、そして、ともに生きている、とそう考えていただいてもよいだろう・・・死者の霊は、たしかに生きている人間とともにある。
 
 つまり私たちの「記憶」とは、そういうものなのだ。
 
 記憶は、ビデオテープのようにただ平板な、過去の記録ではない。人物なら、人物として保存されているのである。そして生きている人のように再生することも可能なのだ。ちょうどわたしたちが、夢の中で出会えるように・・・。
 
 
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脳と意識、そして記憶の諸問題について
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 記憶に関しては、まだまだ解きあかされていないことが多い。
 
 外界からの情報(=刺激)が脳のどのような回路を経て記憶へと変換されるのか、このあたりの情報の流れは、ある程度わかってきているのだが、しかしごくごく日常的な、記憶を思い出すといった仕組みの方は、残念ながらほとんど解明されていない  幾つかのそれらしいモデルは提唱されているものの、誰もがまだ、たしかなことを言えないのが現状である。
 
 満足いくモデルが出てこない理由のひとつに、おそらく「意識」と「脳」の関係式の見誤りといった、本質的な問題が絡んでいるのではと想像される。
 
 本書においては(また、前書『新幽霊科学』においても)、意識と脳はそれぞれが独立した存在であり、個別に活動できる、といったふうな考えに基づき諭旨をすすめている。
 
 とはいっても、意識が脳から離れても存続しうるといった、意識イクォール霊魂的な発想をイメージしてもらっては困る。意識は、母体である脳があってはじめて活動が可能になり、意識から脳へ、あるいは脳から意識へと、双方向的に作用しあうからだ  無論、脳が死滅す札ば、意識活動も消失する。
 
 このような考え方は『心脳二元論』と呼ばれているのだが、まだまだ主流であるとは言えないようだ。とくに日本の脳科学界おいては、意識の力などといった問題は、ほとんど無視されているのが現状である。
 
 さて、心脳二元論をとるとらないに拘わらず、いうまでもなく、「記憶情報が脳から他人の脳へと直接的に伝わる」などといったモデルを提唱している学者は皆無である。
 
 また、そのような事について真剣に論ぜられている本は、本書と筆者の前著のみである。もはや心脳二元論など比較にならないくらいに、アウトロー的な発想には遠いない。
 
 しかし、現象としては、確かにそのような事がおこっているのだ。
 
 しかも宜保愛子のような、特殊な能力者においてのみ、このような事がおこるのではない。通常人の間においても、ごく日常的な出来事として生じている、と、筆者はそう考えている。そして本書は、「意識」「脳」、そして「記憶」について書かれているのだ。以降一残念ではあるが)、いわゆる霊や霊界などの話は、ほとんど登場しない。
 
 つまり、宜保愛子の霊視とは、霊(1−他人の身内の死者の情報)のみならず、見えているもののそのほぼすべてが、他人の脳そして他人の記億と密接に関係してくるからである。このような彼女の特筆すべき能力の、そのなぞを解きあかすことによって、意識と脳そして記億に関して、まったく新しい世界が見えてくることにもなるのだ。・・・
 
 
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脳と脳とが同調する
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 日本医科大における品川嘉也先生の実験であるが、気功師が患者に「気」という未知なるものを放射すると、気功師の脳と、患者の脳とが、同調するといったことが脳波測定によって確認されている。脳の活性化している部位が、各々の脳でまったく一致しながら、順次推移していくといった現象がみられるのだ。
 
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 宜保愛子が霊能力者としての道を歩む契機となったのは、まさしくこの左目の怪我が原因である。彼女は三才のとき、ふとしたはずみで焼けた火箸が直接目に当たり、失明寸前の火傷をおっている。「・・・その時から、視力の少なくなった私の左目が、いろいろな霊の姿を見る事になったのです・・・その怪我をする前に感じた霊の世界は、ポーッとした白い雲のような物が見えたり・・・でしたが、その時から、立体的な霊の姿を見るようになったのです」
 
 
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宜保愛子−永井美奈子を霊視する
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 永井美奈子とは、日本テレビの若手の女性アナウンサーである。そして以下のやりとりは、彼女を宜保愛子が霊視したときの様子を、テレビ番組より採録したもので、「」は宜保愛子、『 』は永井美奈子の言葉である。
 
「あの−おたくは、さかなを飼ったことなーい?」
 『うちですか・:…』
「ええ、金魚とかそういうの」
 『さかなはないです。さかな、さかな・・・さかなはないです』
「昔ですよ。今はいないですよ……どうしてこんなのが出ちゃったかというと、ちょっと可哀想な亡くなし方をしているんじゃないかと思うの」
 『あっ、:::』と口を押さえながら『金魚いた!。』
 『そうそう、池があったんですよ、昔』
「金魚なんて、そう簡単に出てこないんですけども」
 『埋めちゃったんです、その池……ちいさい頃に』
  と永井は消えいりそうな声で、そして目からぽろぽろと涙を流す。
「なにかすごく可哀想な亡くなし方をしているから、だから金魚が出てくるんです」
   ・   ・   ・
「家を見てみますと……入りますでしょう。やや縦長だなあという感じの家が、ひだり側にあって、みぎの方を歩いて奥に入ると、昔あった池のあとがある。池は、一番奥の方にあったはずなんですよね」
   ・   ・   ・
「あなたが小さいころに使ったお人形さんで、着せかえの人形あるでしょう」
 『あります!』と、キッパリと永井。
「それは今、あの・・・しまいっぱなしにしてありますよね」
 『だぶん捨ててないと思います』
「なんか赤いケースのようなものに入ってなーい?」
 『お人形ケースですか……』
「箱が赤いものじゃないかしら・・・それが紙でできているようにも思えないのよね」
「……ビニール?」
 『ビニール』と、彼女は肯定く。
「そうよね、足のきれいなお人形さんね」
 『リカちゃん人形がすごく好きで……』
「金髪のお人形さんでしょう」
 『ちょっとまって1』と、彼女はのけぞって驚く一筆者もよくは知らないのだが、このリカちゃん人形は、普通は茶色の髪のものが多く、ただし彼女は、金髪の人形でしか遊ばなかったそうである。ゆえに驚いたとのこと……)。
「それがね、全然出してもらってないし、お節句にでも出して欲しいと言っているのよ」
 
 
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魔女と恋愛
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宜保愛子も、かつては恋をした。
いや、今だって恋をしているかもしれない。
ところが女性の能力者は、恋をすると、ちょっとした異変がおこる
ようなのだ。
魔女にとっては、恋愛はご法度なのかもしれない
 
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魔女が語る「魔女の証し」
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 コラン・ド・フラッシーの著した『 DICTIONNAIRE INFERNAL(邦題、地獄の辞典)』のなかに、驚くべき物語がつづられていた。そこには、魔女の魔女たる所以が見事にあらわされており、彼女たちの真正さを証明することにもなるだろう。
 
 サンドヴァルの『カール五世伝』のなかにこんな話がある・・・
 
 11歳と9歳の二人の少女が、ナヴァールの国王法廷で自ら魔女であることを認めた。二人は魔法使いの一派に属しており、罪を容赦してくれるのなら、仲間の魔女のことをすべて教えようと申し出た。裁判官が条件をのむと、ふたりの少女いわく、「魔女かそうでないかは、その人の左目を見れば言い当てることができます」。
 
 なお、この『地獄の辞典』は19世紀(1863年)に書かれたものである。原典はさらに古く16世紀の物語だ(カール五世は、時のドイツ皇帝)。
 
 無論、当時だれひとりとして、ロジャー・スペリーの左脳、右脳の機能分割の話など知るよしもない・・・左目が右脳に直結しているわけではないのだが(左右の目、ともに左視野が右脳に投影される)、もし左目に異常があると、顔の形からいって、左視野に相当する領域が狭められ、必然的に右脳への外界からの入力が低下することになる。ゆえ、意識にとっては、右脳からの映像情報が見えやすくなると考えられるのだ。
 
 そしてご存じのように、右脳は直感的で空間認知などに長けており、イメージ脳とも呼ばれている(また、左脳は論理的で、主に言語を司っている)。
 
 そして、人とは違う左目、それが魔女の証しなのであるが・・・つまり魔女たちも、その不可思議な魔力はたんなる伝承でなく、宜保愛子同様に、脳からのさまざまな情報を、映像として見ることのできる能力者であった可能性が高いのだ。
 
 もとより彼女たちが、反キリストや悪魔を信仰していたワケではない。あくまでも、それはキリスト教側からみての悪魔、魔女にすぎず、むしろ魔女は魔女なりのものを信じていたのだ・・・ちょうど宜保愛子が、見える霊の存在を信じているように。
 
 それにしても宗教とは罪深いものである。魔女狩りと称して、当時、数えきれないくらいの能力者たちが殺されていったに遠いないのだ。教祖イエス・キリストもまた、本来魔女の列にれっせられるべき、単なる能力者のひとりにしか過ぎなかったというのに……。
 
 
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悪霊退散ーニンニクの効用
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さて、魔女にも苦手なものが幾つかあったようだ・・・
 
 ラマーのビーズ(琥珀)、ブラック・マギー、ナナカマドの木と葦のひも、玉ねぎ、そしてニンニクなど……。
 
 ニンニクについては、かのドラキュラ伯爵も苦手とするのであるが、これは説明するまでもなく、魔女に関しての西洋古来からの伝承が下敷きになっている。
 
 そしてニンニクは、紀元前から魔よけとして珍重されてきたらしく、これに関しては、チャールズ・G・リーランドが一〇〇年ほど前に著した『ジプシーの魔術と占い』に詳しく記されている。この中から、いくつか抜き出してみることにする・・・
 
 ギリシャ人やトルコ人の間では、ニンニクは悪霊、魔法、不幸を防ぐもっとも強い力をもっていると考えられており、出歩くときにはニンニクを携行するし、船乗りも、難破を避けるためにニンニクを袋に入れてもち歩く。
        
  また子供たちが凶眼{イーヴイル・アイ}でじっと見つめられるのを守ってくれると一般に考えられており、ポーランド人の間では、子供たちを悪魔や魔女から守るために、枕の下にニンニクをおく
 (凶眼とは、魔女の目のことを象徴している)
 
ニンニクをかめぱ、魔法が避けられるし、神をあがめない人たちに神がつかわす悪霊を避けることができる。
 
 と、このようなニンニクにまつまる伝承は、実は、すべて「見える、見えない」といった現象をあらわしているのだ。ニンニクを身近なところにおけば、悪霊などの怪しげなものの姿を、私たちは見なくてもすむ。そして魔女(=能力者)もまた、ニンニクの臭いを嗅ぐとその能力を発揮できない・・・といった解釈になる。
 
 つまり、ニンニクによって、脳からの情報が見えてこなくなるのである(意識からみて、そのような事がおこるのだ)。
 
 私たちの五感においては、鼻からの刺激、つまり嗅覚は視覚や聴覚などとはかなり形態が異なっており、脳の奥深くにまで直接的に働きかけることが知られている。空中を漂っている、ごくごく微量な成分が、ダイレクトに脳に影響を及ぽすのだ。そしてニンニクの臭いの微粒子は、脳から意識への映像による情報伝達を、阻害する働きがある、とそう考えることができるのである(・・・ネギ類には、この効果があるようだ)。
 
 また臭いの種類によっては、当然逆の効果が出ることが予想され、シンナー系などがこれに相当するだろう。たとえば、新築の家に幽霊が多発するなどといったケースは、ほとんどが、乾ききっていない塗装や糊などの臭いが原因なのである・・・いわば、脳にノイズ、が発生したようなものだ。とこのように、やはり伝承にはそれなりの理由があるのである。
 
 では、応用編《ニンニクの使い方》・・・
 
 幽霊など大嫌いという、こわがりの人は「ニンニクを食べてから寝るとよろしい」。また、霊感の鋭い女性を妻にしてしまってお困りの方は、「外で浮気をした場合、帰宅する際には是非ニンニク料理を食べてから」あるいは「ニンニク入り菓子をお土産に」。これで見破られる率が、グーンと低下するはずである。まさにドラキュラなのだが、ただし十字架などは金輪際通用しない・・・。
 
 
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魔女は、男が苦手
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さて 魔女にとっては、もうひとつ苦手なものがある。魔女ときくと、すぐ男を色香でまどわすような妖艶な女性を想像しがちであるが、意外にも、男は、魔女の苦手なものの代表格なのだ。スコットランドのノーズ・バーウィックで、かつて魔女たちが歌ったという歌の文句に次のようなものがある。
 
   魔女よ、魔女よ、わたしはおまえに反抗する、
   四本の指がおや指にかかっているぞ、
   おとなしくわたしを通しておくれ。
 
 また、魔女を撃退するための反魔女の歌の末尾にも、やはり同様の文句がある。
 
   四本指とおや指で  魔女なんかこわくない。
 
 この指の形は、西洋においての、男根をあらわすサインだそうで、「魔女たちがそれを恐れていることは見てとれるであろう」と、G・リーランドの著書のなかに記されている。
 
 また一般的にいって、魔女は処女喪失とともにその魔力を失う、との伝承は多く、明らかに魔女(=女性の能力者)にしてみれば、男、つまり色恋ざたは好ましくないようなのだ。また魔女裁判などに登場する魔女たちも、先の『カール五世伝』に登場した9歳、11歳の子供たちを初めとして、せいぜい20歳代前半までの女性が大半であり、あるいは魔法使いといえばお婆さんをイメージするように老婆も多く、その間の年齢層であるサマンサ(アメリカのテレビ番組『奥様は魔女』の主人公)のような、色っぽい年代の魔女というのは、実際には非常に少ないのである。
 
 そして宜保愛子もまた、ちょうど21歳から38歳までの17年間、その能力をまったく消失させていた時期があるのだ・・・偶然の一致だとは考えにくい。
 
 どうやら、魔女(=女性の能力者)の能力発現あるいは消失と、男(=恋愛)とのあいだには、それなりの秘密が隠されていそうである。・・・
 
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 手当たり次第に浮気をする男、あるいは黒人男性なら(日本人男性よりはより邊しい)誰かれなく付いていく女、これらはともに、脳のプログラミングにより正直に従って生きているともいえるだろう。
 
 また、他の異性を好きになる、そしてそのままずーっと好きでいつづける、などといった恋愛行動は、おそらくホモ・サピエンスにのみ特有の、過度に発達しすぎた意識の側の働きがあってこそ、はじめて可能になるといえる(……宇宙人などについては知らない)。
 
 そして恋は盲目というように、はなはだしく思い込みのはげしい作業でもある。その過程においては、当然うそやデタラメが、山のように積み重ねられていくことになる。結果、あばたもエクボといったふうに、欠点すらも、いつしか長所にすり変わっていってしまうのだ。と、このような理不尽で摩詞不思議な恋愛(あるいは婚姻)の儀式を、意識がとりおこなっている最中に、もしふとしたはずみで脳が霊視・・・他人の記憶をよみとる・・・といった作業をおこなったとしたらどうであろうか……。
 
 百年の恋も、いっぺんに冷めてしまうことになる。恋人の過去(=真実)なんてものは、知らないならそれにこしたことはないのだ。これは、ごくありきたりな恋愛一般についても当てはまるだろう。ましてや能力者にとっては、そもそも知りえる情報のレベルが違う、のであるから、その能力に封印をしてしまうのは、当然の摂理だとも考えられるのだ。
 
 また脳にとってみても、恋愛そのものが悪いというフケではない。
 
 脳からみれば、恋愛(あるいは婚姻)は、かなり回りくどい方法だと感じられるにせよ、要は適度な配偶者さえ得られればよいのだから。相手方によほど劣悪な秘密・・・  パンティントン舞踏病などの遺伝病をかかえ、エイズウイルスと肝炎ウイルスを保有し、かつ隠し子がいて重婚詐欺を働こうとしている・・・でもないかきり、あえて真実を意識に教える必要性など、脳は感じないのかもしれない。
 
 いずれにしても、恋愛には、他人の記憶をよみとる=恋人の過去の真実を知る、などといった魔術は必要がない。いわば恋愛そのものが、ある種の魔法なのだから・・・・。
 
 
ハンティントン舞踏病  この特異な遺伝病を例に挙げたのは、ちょっとしたワケがある。魔女と関係があるからだ。症状は、舞踏という名のとおり、体のあちこちの筋肉が無意味な引きつりを始終おこすのだが、やがて痴呆症などの精神障害を併発し、そのほとんどが五〇才までに死亡する。またこの遺伝病は優性遺伝をし、親のどちらかがこの病気の場合、その子供の五〇パーセントは発病する。「呪われた家系」などの物語に登場する精神病は、これがモデルである。なお、いわゆるキャリアのまま生涯を終えるということはなく、一定の年齢に達すれば必ず発病する。そして、このハンティントン舞踏病の家系の幾つかは、かなり古くまでさかのぼって調べられており、中世ヨーロッパ時代においては、発病後、その特異な症状から魔女と誤解されたらしく、魔女狩りの際に、かなりの数が殺されていることが分かっている。
 
 
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幽霊には前も後ろもある
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 そして言うまでもなく、「裏をかえせば」で得られたこの推論は、「ふたり以上の人間によって、同時に同一の幽霊が目撃される」といった現象をあらわしている・・・先の説明がまさにこの真相である。
 
 かつて、この種の幽霊目撃談について詳細な調査をしたG・N・M・ティレルは、これに関して、さらに興味深い事例を紹介している。それは次のようなものだ・・・
 
「それぞれの人が、互いに違った視点から同じ幽霊を見ている場合、その幽霊は、それぞれの人によって角度を変えて見える。たとえば、幽霊の前にいる人には幽霊の正面が見え幽霊の後ろにいる人には幽霊の背中が見え、幽霊の横にいる人には幽霊の側面が見える」
 
 つまり、幽霊なるものが、空間のある特定の位置をあたかも占拠しているかのように、周囲の人間には見える場合があるのである。
 
 しかし、だからといって、そこに幽霊の実体に相当するものが存在している、といったワケではない。何度もご説明しているように、やはりこのようなケースにおいても、幽霊を見ているすべての人が、それぞれが、自身の脳からの映像を見ているのである。
 
 また、このような特異な見え方をすることに関して、ティレル自身、よく分からないとしながらも、次のような考察を述べている・・・
 
「もしそれが、脳の中の肉体的な何かによってそうなるのなら、何人もの人の別の脳の中で、その何かは互いに正確に組み合わされるような状態をつくるのだろうか?」
 
 殆どの読者にとって、おそらくチンプンカンプンだと思うのだが、彼のこの発想は、当たらずといえども、遠からずといったところである(なお、ティレルのこの話は一九六〇年代初頭のこと)。では、その真相を解きあかしていくことにしよう。
 
 
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ホログラム記億と置換のメカニズム
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まず、宜保愛子が霊視中に霊(守護霊)を見る場合、どのように見えるかというと
 
普通の人よりやや薄めですが、大きさは変わりません。
その霊は、自分の頼っているその人(相談者)をじっと見つめているのが常です。
 
 宜保愛子から見て、霊は、相談者と「同じ大きさ」、「相談者の方を見ている」、このふたつがポイントである。
 
 まず、この記憶情報そのものに、着目してみることにしよう。この記憶情報の本体は、もちろん相談者の脳の中にある。では、相談者の脳の中においては、この記憶情報そのものは、いったいどういった組み立てになっているのであろうか……。
 
 結論からいうと、以下のようなものである。
 
「霊(死者に相当する人物記憶映像)は、自分の方を、見ている」
 
 もし、記憶情報がこの状態の時に、相談者が夢を見たとすると、夢にあらわれたその死者は、当人と面と向かって対峙している、といった状況になるはずである。
 
 そして、この記憶情報が宜保愛子に伝達されると・・・「霊(人物記憶映像)は、相談者の方を、見ている」といったふうに変化する。
 
 つまり、「自分」に相当する情報信号が、宜保愛子の脳では「相談者」に相当する信号に置き換わるのだ・・・脳が、自動的にそのような置換をおこなうのである。
 
 そして、その死者についての記憶情報が、相談者の脳の中において・・・相談者が夢を見る際に、その死者が、妖精のように小さく見えるとか、あるいはガリバーのように大男に見えるとかいった  そんな特殊なプログラミングでもされていない限り、宜保愛子から見て、霊は、やはり相談者と同じサイズに見えるはずなのだ。なぜなら、宜保愛子の脳は、相談者の映像については現実の情報を取り込んでおり、それを指標として、そのサイズに合わせて、霊の映像を脳のスクリーンに投影するからである。
 
 と、このように、脳はただ単純に映像を再生しているワケではない。さまざまな点において、きちんと辻接合わせをおこないながら記憶映像を再生していくのだ。
 
 そして以上のような原則に、さらにこの記憶映像の特性が加味されることになる。つまり脳によって再生される記憶映像は、以前にもご説明したように、三次元立体映像なのだ。人物に関しての映像記憶も、もちろん「ホログラム」である(ホログラムとは、立体映像を再生するための基盤のことを言う)
 
 人物のホロダラム記憶とは・・・
 
正面から見れぱどう見えるか、背後から見ればどう見えるか、極端な話、その人物の足の親指あたりから見上げるとその入物はどう見えるか、などこれらすべてに対応できるよう三次元的に完成されている記憶のことをいう。そしてこれは、たとえ実際には、その人物を、足の親指から見上げたような体験が過去一度もなかったとしても、人間の脳はそのような映像を再生できる、といったことを意味している。
(『新幽霊科学』より)
 
 再度、多人数が同時に幽霊を見るといったケースにもどして説明してみると  映像記憶が伝達される際には、ホログラムとして各人の脳に取り込まれ、さらに、その記憶情報の本来の持ち主の脳におけるプログラミングに応じて、各人が置き換えをおこない、その結果、各人がどのような角度から見ても、さもその場に実体があるかのよう、前面が見えたり、背中が見えたりする・・・といった仕組みなのだ。
 
 以上が、ティレルの事例についての解答となる。 
 
 
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Good-bye「宇宙人」
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 かつて(本書が発表される前まで、いや現在もなお)次のような発想や、さもありなんの解説が大手を振って世間を闇歩していた・・・
 
「テレパシーは心と心が伝わるのだから、言葉の壁は越えることができます」
「だから、宇宙人ともテレパシーで話せ、メッセージが伝わってくるのです」
 
 つまりこれらは、すべて「大嘘!」となる。言葉の壁を越えることができるのは、心と心が伝わるからではない。脳から脳への情報伝達のメインが、言語に関係しない「映像記憶」だからである。ゆえ、当然のことながら、宜保愛子が霊視する場合も、相談者がロシア人であろうか中国人であろうがマサイ族であろうが支障はない(・・・この種の映像記億の伝達は、人と他の哺乳類の間でも、ある程度は可能だと類推できる。ただしイルカとは、ちょっと無理なようである。彼らは水中で生活しており、目からの映像情報に殆ど頼っていないからだ。またイルカはレム睡眠をおこなわないことも知られており、いずれ詳しくご説明するが、レム睡眠=夢と記憶情報伝達とは、密接な関係があると考えられるのだ)。
 
 また、宇宙人との交信であるが、彼らの脳における視覚情報処理と映像記憶処理の仕組みが、万が一ホモ・サピエンスと同じであったなら、映像は伝達される。
 
 ただし、江戸時代の人が現代の人から映像記億を伝達された場合を想像してみれば分かるように、見えている物の大半が解析不能となる・・・つまり、いかに優れたテクノロジー映像が見えたとしても、人知を越えたしろものは理解できないといった理屈である。
 
 もちろん言語は、使用しているものが同じであるはずはなく、映像で伝達されたとしても解読不可能。音声記憶はさらに解読不可能。
 
 そして言うまでもなく、地球人どうしても概念情報は伝達されないのだから、ましてや宇宙人の脳からそのようなものが地球人の脳に伝達されるはずはない。
 ゆえ、彼らからもたらされるという、哲学的な「ありがたーいお言葉」などといったものは、すべて大嘘となる・・・宇宙人からのお言葉を代弁するというチャネラーは、実のところは、自身の脳に保存してあった「地球の哲学者が書いた本」、「地球の牧師が言った言葉」、「地球の校長先生の訓示」、「地球の小学校の道徳の教科書」などから、適当に言葉を寄せ集めてきて、それらしい物語を作りあげて語っているにすぎないのだ。それが証拠に、エイズや癌の特効薬、重力制御の仕組みなどを尋ねようとすると、きまって「今のあなたがた地球人には、それを教えるのはまだ早いです」などと、するりと逃げられてしまう。もっともチャネラーは、他人をだまそうとしてワザとやっているわけではない(中にはそういった詐欺師もいるだろうが)。チャネラーの仕組みは、簡単にご説明すると、意識活動の領域が変化して、あのような、自身の脳内の記憶に精通した存在に、いわば変身できるのである(なお、詳しくは、新幽霊科学』のほうを参照していただきたい)。
 
 
 
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後文
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 京極夏彦が優秀なる物書きであることは認めよう。だからといって、盗作(副窃)が許されるものでは無論ない。また『姑獲鳥の夏』は彼の処女作でもあり、しきたリに無頓者であった、という点において情状を汲むべき余地は若干なリともあるだろう。だが、参考文献の欄にすら紹介しなかったことは明らかに失態で、確信犯だという謗りは免れない。
 世間に定着している論理を小説に使うのは自由である。だが私の書物のように殆ど認知されていない論理は、使う場合それなりの配慮があってしかるぺきであろう。無断使用はいわば独創性の略奪てあり、奪われた側にとってみれば生存権の剥奪に等しいからだ。
 なお最後に釘を刺しておくが、京極夏彦が、京極堂の持論(すなわち私の論理)に関係して、万が一にでもノン・フィクションの領域にをく筆を進めるようなことのなきよう!
これは当人のみならず、出版社各位にもお頑いする次第である。私が何をいわんとしているかは、賢い京極さんならお解りのはず(ですよね)。
 
 了(とりあえず)
いかがでしたでしょうか?
 
僕はこの「ゆうむ理論」を支持しています。ただ、脳のネットワークにおいて伝達される情報は視覚情報だけではないような気がいたします。共鳴できる条件がそろえば、記憶によって呼び起こされる感覚は、理解可能かどうかは別問題として、すべて伝達可能なのでは無いでしょうか? また、シャーマニズムについてもいずれ書こうと思っているのですが、シャーマンが体験する世界が臨死体験と大部分一致する点を考えると、どうしても人間を越える存在が想起されてきます。
 
とりあえず、以下の文章は「ゆうむ理論」のおいしいところをかいつまんで、「Violet monkey理論」で味付けしてみましたので読んでみて下さい。
 
 
「ゆうむ+Violet monkey理論」
 
人間の脳の、映像を知覚するスクリーン上に、目から入ってきた情報と脳が直接受け取った情報がごっちゃになって映っていると考えていただきたい。
まずこれで幽霊や妖怪が薄暗いところや夜間に現れる理由が解ける。
 
昼間でもそれらを目撃する人は俗に霊感が発達していると言われ、視覚が弱いか、無意識の結んだ像の方に意識を集中する能力があるからだ。
 
霊能者が相談者の親戚縁者の姿を見てしまうのは、相談者自身の脳にある親戚縁者の記憶が霊能者の脳に映像を結ぶからである。
 
人混みの中で無条件に他人の記憶が見えまくってしまったらおそらく発狂してしまうだろう。そうならないのは、無意識はある程度制御されていて、欲しい情報のみアクセスが可能なのかも知れない。
 
同じ人間の脳ならば互いの距離は問題としない。例えば土地に着いた地縛霊などが一人の時でも見えるのは、その土地に関する条件で検索された、そこには居ない他人の脳の自殺者なり事故死した人に関する記憶が映像を結ぶからだ。
 
その漏れ出す記憶は本人の意識しているいないに関わらない。つまり遺失物などは自分のなくしたモノなのだからその場所を脳は記憶しており、ただ本人がその情報にアクセスできないだけなのだ。霊能者はその記憶にアクセスして場所を言い当てる。
 
死んでしまった人の脳はネットワークから外されている。ただ生前にその脳の蓄えていた記憶は他人の脳にバックアップされているために影は薄くなるだろうが情報は生き続けている。これは人類誕生以来の記憶が我々の脳に残っている可能性を示唆する。いわゆるアカシックレコードと呼ばれる宇宙すべての記憶庫とはこれのことではないか。
 
人間は睡眠時に身近な脳からアクセスし始め記憶の整合性、つまり認識の修正作業を行い、共通の場{次元}を確立し、その認識の世界で生きている。ゆうむ氏は赤ちゃんはその世界観の大部分を母親の脳から獲得するのではないかと言っている。また、世界の遠く離れたところで発明や発見が同時期に集中する偶然や、100匹めの猿理論に見られるような跳躍する文明論もこれで説明できる。
 
僕はこの理論をインターネットに例えてみたい。
脳の無意識の領域は他人の脳とアクセス可能な情報機器、パソコンだ。自ら思考はしない。あくまでも情報処理に専念する。少し違うのは常時接続可能でありそれぞれのクライアントがサーバーも兼ねていて検索機能も内蔵している点だ。そして人間の五感すべてに情報を伝える機能を有する。その情報には先入観が一切含まれていない。つまり記憶には感情は含まれていないが、そのピュアな情報に100パーセント浸れたならばそこにいたのと同じ感覚を味わえるだろう。その結果どう感じるかは個体の意識の問題である。他人の五感の情報をすべて受け止めてその人物の性格やら生活条件が解っているのならば、その人物の心の動きはある程度高い確率で推察できるだろう。
 
その情報には我々の生活するこの三次元の空間と時間をくわえた四次元の認識が畳み込まれている。その情報はホログラムのようにフィルムのかけら一枚でも全体像の復元が可能である。かけらの場合は若干ぼやけはするだろうが・・・
 
他人の脳にアクセスするURLは、人物を特定するか、場所を特定するか、時間を特定するなどして検索をかけた結果である。その時OSの違いで表示が崩れたりするように人間の相性によってもはっきり見える情報とそうでない情報とがある。
 
 
 
聖霊の宿る木
 
 
もしも樹木にも未知の感覚器官によるネットワークがあり、映像ではなくとも空間認識の情報がストックされていて、その情報を認識できる能力者が居たとしたら・・・・時に長寿の老木は聖霊が宿るという。植物も場や空間を認識しているのではないかという最近の研究結果をみると十分可能なことのように思える。それら老木の意識のネットワーク自体が一つの脳として機能し、統合され、人間の脳にアクセスする能力を老木が持つならば、その規模は地球大となる。まさしくガイアの観念と重なるのではないか。だがその情報は人類の五感とは異質であるが故に理解することは容易ではないかも知れない・・・
 
太古の昔、人間に話しかけた神とは木の集合意識だったのかも知れない・・・
 
以下は今年の8月21日(金)に米軍がアフガニスタンとスーダンにテロの報復攻撃を仕掛けたときの掲示板上でのやりとりです。

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ガイルマスター  (8月21日(金)17時49分)
 
やはりというか、ついにというか、現実に始まってしまったようです。
実際、木から知識を教えてもらっていたのですが、、、。
 
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Violet     (8月24日(月)03時27分) 
 
初めまして、ガイルマスターさん
>実際、木から知識を教えてもらっていたのですが、、、。
この木ってなんでしょうか?よろしければ教えていただきたいのですが・・・
 
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ガイルマスター  (8月24日(月)06時37分) 
 
カバラ系と勘違いされてしまいそうな書き方でしたね。すみません。ここでの木とは、基本的にその辺に生えてる木です。さいきんの研究報告で「植物にも知性がある可能性が」という学説(まだ説まではいっていません)っぽいものがあるのです。この植物の知性は凄いことに人間などの動物と違い、種になって生まれ変わっても失われないらしいのです(もしくは集団意志によるテレパシーみたいなもので全ての情報が全ての植物に知識を与える(どこかのサルが芋をあらうと、まったく違う場所のサルも洗いはじめると似たもの))。
日本にはそんな学説の数十年昔から研究されている方がいて、その方はすでに植物と会話することが(電気的に)可能、、、まだ僕は会話してませんけど。
その方の育てている樹齢何百年かの杉博士(ぱっと見ただの杉)の知識に
私たちが聞けば驚愕する、、、まさに飛鳥理論を補完するような言葉を話しはじめたのです。代表的なのは「太陽には水、大陸があり、そこに人類の仲間がいる」ですかね。とりあえず、植物の知性にかんする論文などはこれから熱くなると思いますので要チェックや!てなノリです。もしも植物に知性があると証明されれば、菜食主義の人たちは動けない者を食らう非人道的な人々となるかも。僕は少なくとも、あると言ってしまいますが。
 
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Violet monkey  (8月24日(月)11時46分) 
 
ガイルマスターさん、
詳細にどうもありがとうございます。できればもっとうかがってみたいような内容ですね。
著者は忘れましたが、30年ほど前に、「サボテンがしゃべった」という本を読んだことがあります。子供心に「これは本当のことだ!」と感じながら成長しました。出雲大社、伊勢神宮、鹿島神宮と行ったことがあるのですが、まさしく「なにごとの、おわしますかはしらねども、かたじけなさに、なみだこぼるる」の心境になりました。あれはきっと、杜のせいだったのですね。縄文杉に会いたいこの頃です。
杉は日本人が一番沢山植えた木で、スサノウの尊も「杉と樟(楠)、この二つの木は舟を造るのによい。檜は宮をつくるのによい、槙は現世の国民の寝棺をつるのによい。そのためたくさんの種子を皆播こう」・・・アークは舟とも訳せますね。杉という字は三柱が下った木とも見えます。
杉の箱、金属の箱、コンクリートの箱にマウスをつがいで入れると、生存率は
 85.1%、 41%、  6.9% だそうです。
宮大工の西岡常一さんは、『木は育った年数だけもつ。1000年かけて育った木は1000年は大丈夫。横向きに生える木は、横向きに使い、北側に生える木は、北側に使う。木組みとは、人組のことだ』・・・と、含蓄のある言葉を残しています。名人は鉋掛けでも鋸引きでも、木の六面を確かめて、木の目を見てから細工します。
植物は他の動物に食われても文句一つ言いません(どうでしょう?)。果実は進んで食べられようと努力しています。仏陀の話の中の、空腹の虎に食われてやった坊さんのように、仏の御心を体現している存在だと思っています。品種改良は一種の奇形です。現在我々の口にする野菜の殆どが、2世ができないよう放射線処理されていると聞いたことがあります。怖いですね・・・
少女漫画に「ダークグリーン」という漫画があって、全地球上の植物が、意志を持ってネットワークを組み、一つの生命体のようになって人類を粛清する・・・というのもありました。
「ワン・ゼロ」も深い。
 
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SEIYA  (8月25日(火)02時06分) 
 
ガイルマスターさん
>その方の育てている樹齢何百年かの杉博士(ぱっと見ただの杉)の知識
>に私たちが聞けば驚愕する、、、
 
アリスタータ松に聞いてみたいです!!
 
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ガイルマスター  (8月25日(火)06時23分) 
 
どうやら杉博士は5000年以上前から知識を貯えているとのことです。今の文明の前の古代文明についても話していました。でもアリスタータなら100万年は行けそうですねー、、、ボクも話したーい!!
 
やじろべ〜さん
>何か参考図書やWebサイトがありましたら教えてくださいませ。
 
かなりしばらくお待ちください。今手元にないので(1年以上前のことなので)すみません。アメリカで探せばHITも多いかと(推測)。ザ、ザンギ、、、できれば戦いたくないですね、、、コワイ。
 
私は木に対する尊敬はありますが、それは年を取った人に対する行為と変わらないものです。木を崇拝する者ではないでぇす!!だって木も人間も全ては神がお作りになられた物ですし!!そういえば「木」そして「木になる実」は、聖書でもかなり重要な役割を持った物がおおいですねー、、、興味深々。
とりあえず杉博士のお話は、僕が覚えてる限り、ちょこちょこカキコします。飛鳥先生とはちょいズレてるけどいいのかなーと思いつつも(笑)
 
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ガイルマスター  (8月26日(水)01時07分) 
 
はにゃー。やっぱり、自分の植物学に関する知識のみのカキコにかえますにゃー。 ごめんなさーい。 でも、植物との対話なんてシャーマンじゃあるまいし聞きたい方なんているのかにゃー。、、、ここで、最近の例を出そう、動けない植物は何が起きても、じっとただ待つのみ。だが、目の前で自分を育ててくれた主人が殺されたとき、植物は殺した相手を覚えた、、、TVネタ。にゃーんて話じゃ、飛鳥じゃないにゃん! でも、彼らは執念深いので、ちゃんと使ってにゃん。
 
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夢見  (8月26日(水)23時02分) 
 
ガイルマスターさん、はじめまして:
>さいきんの研究報告で「植物にも知性がある可能性が」という学説(まだ説まで
 
超初心者的なレスですが・・・。「かわいがって(話し掛けたりして)育てた植物のほうがよく育つ」という話を思い出した次第です。
では。
古代の神職者であった「」さんは、そもそも何故に田圃に棒を立てたのか? 初めに木との交流があったのではないだろうか。神社をこさえて鎮守の杜があったのでなく、初めに鎮守の杜があって、そこに神を感じて祠を作ったのではないだろうか。その前に・・・稲作以前には山深い森の中で神に出会ったのかも知れない。稲作文明以前の「」さんについても考察しなければ「」さんが日本のオリジナルだとは言えなくなるなあ・・・
 
一つ目小僧とは
片目を潰すことにより
無意識を認識する第三の目を開かせる象徴ではないのだろうか。
 
僕の大好きな角の話が出てきませんでした。
現在では角のある人間は居ません、が、もしそのような子供が産まれたら
処理されてしまっている可能性もある。
でも・・・一向にそんなうわさは聞かないなあ・・・
 
次回こそは出雲大社に暗示された
一つ目小僧を暴きますよ〜!Violet monkey
つづく・・・
befor                  next