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京極堂を2倍楽しむ方法その4

富山の薬売り考察 その二、(伊豆)

 

前回は備前の地にまつわる因縁を取り上げた。その備前から、万代(もず)常閑という僧が、元禄期(1688年―1704年)ごろ、富山へ来て、松井屋源右衛門なる人物に反魂丹の製法を伝授したのである。万代(もず)常閑という名からして、Violet monkey流にいえば非常に怪しい。万(mon)代(大)常(十)閑(monの木)であり、いままで取り上げた漢字破字法で解釈すれば、どのようになるだろうか?・・おためし下され。また、何故に「万代」で「もづ」と、鳥の名で読むのか?・

そして、伝授した相手がまた、松井屋源右衛門であり、その4代目が大道芸人、香具師(やし)の松井源水であることから、漁村の女の出稼ぎとして発達したというよりも、香具師(やし)のネットワークによって全国に広まったのではないかと考えられる。

香具師(やし) 
矢(野)師,弥四とも書き,的屋(てきや)ともいう。縁日・祭礼等人出の多い所で興行し,商売する露天商人。 (矢には{神に}ちかう、の意があります。)

話が遡るが、奈良末期の和気清麻呂が神託により道教を排除せんとして流罪にされたときに、清麻呂を麻呂(キタマロ)に改名させられているのである。これがどういうことか私には解らないのだが、このあたりのくだりが、万代常閑と松井屋源右衛門と、香具師の松井源水を結ぶ因縁に思えてならない。また、私の資料では和気清麻呂が何処へ流されたかが書いてない。その辺を推察していこうかと思う。(その奏上のため大隅(おおすみ)に流された、と自分で書いてあった・・・すみません。大隅は現在の鹿児島県ですね・・・)

まず、薬売りといえば行商のことである。

行商
商品を携えて各地を売り歩く商人。平安時代の京都で販夫(ひさぎびと)・販女(ひさぎめ)と呼ばれる行商が盛んで,地方では木地屋が活躍した。鎌倉・室町時代には練膏薬を行商した高野聖(こうやひじり)や座を結成した大山崎の油商人が有名。近世では近江(おうみ)商人と富山の薬売が典型。商品運搬の道具に連雀(尺)(れんじゃく)が使用されたことから行商人は連雀商人とも呼ばれた。

連雀商人

中世から近世にかけて連尺(れんじゃく)(木製の枠形の背負い道具)に荷を背負って行商した商人。のち行商人を連雀ともいう。彼らが城下町に集住するようになると,その地は連雀町と呼ばれた。浜松・静岡・川越・岩槻・彦根・岡崎など各地に残る連雀町はその名残り

大道商人

固定した店舗をもたず,町や村を振売り(触れて売り歩く)したり縁日などに露店を出す移動商人。農民などが余剰生産物を売り歩いたのに始まり,行商の古い形で市(いち)の形成を促した。商法上は小商人の一種。広くは大道遊芸人や香具師

何か見えてきませんでしょうか? 庚申伝説考察-3 竜宮伝説でご説明した木地屋や聖(ひじり)が出てきましたね。ついでにと言ってはなんですが・・・

隠語
特定の職業や階級に属する人びとが用いる,仲間だけに通じて他の人びとには理解されないような言葉。一般には香具師(やし)や博徒,また犯罪者集団等の符丁言葉を意味することが多いが,宮廷女官の女房言葉,僧侶の学林秘語,猟師の山言葉(猟師などが使う隠語)なども広い意味における隠語といえる。構成の方法には,音節の転倒(公園をエンコ),音節の省略(恐喝(きょうかつ)をカツ),比喩(ひゆ)(土蔵をムスメ――白く塗るから)などがある。70〜80語が知られ,部外者には秘密にされた。米を〈くさのみ〉,オオカミを〈やせ〉,クマを〈くろげ〉〈山の人〉などという。またぎの山言葉にはセタ(犬),ワッカ(水)など,アイヌ語からの借用もみられる。沖言葉と同様,本名で呼ぶと獲物に感づかれるためという。

忌言葉

(いみことばある言葉の使用をきらい,その代りに用いる語。古く斎宮忌詞・斎院忌詞などがあり,仏を中子(なかこ),経を染紙(そめがみ),僧を髪長,死ぬを奈保留(なほる),病を夜須美(やすみ),血を阿世(あせ)などといった。年神を迎える正月言葉では寝るを稲積む,ネズミを嫁が君といい,夜言葉では塩を浪(なみ)の花,糊(のり)をお姫様という。また猟師の山言葉,漁民の沖言葉などがある。

何か、隠密部隊のようですね。(^^) また、本名で呼ぶと獲物に感づかれるため、なんてのは陰陽道にも通ずるところがあります。この辺もいずれ取り上げていきます。ここで注目したいのは、浜松・静岡に残る連町は城下町に集住するようになった彼らの名残り、と言うところです。でも、これだけでは京極堂に迫るには、ちっと頼りないですね。何か、伊豆に繋がる材料は無いものかと探してみると、・・・ありました!

ちょっと長いですけど、がんばって目を通してみて下さい。

伊豆 
旧国名。豆州とも。東海道に属し,現在は静岡県伊豆半島,東京都伊豆諸島。《延喜式》に下国,3郡。724年に遠流(おんる)の地とされた。流人源頼朝はここで挙兵。小田原北条氏の支配を経て,江戸時代は幕府領となり,三島に代官所を置く。

豆州とはズシュウでしょうか? 十州(ジュッシュウ)→ジュシュウ→ズシュウならばそれほど無理は無いでしょう。私が「十」にこだわるのは、漢字源で「秦」を引くと、大の元字であるというのはもちろんのこと、解字で(解字では図が載っているのですが)、十字型の宝物を両手で捧げ持った形(これが大)の下に木が付いて「秦」となっているからです。大の下に十が付いて夲(トウ)となり、日本の国名にも繋がるキーワードとして、「大」と「十」を考えています。

伊豆諸島
大島,利島,新島,神津島,三宅島,御蔵島,八丈島の伊豆七島とその属島,さらに南方の青ヶ島,ベヨネース列岩,鳥島まで,ほぼ南北に並び富士火山帯を構成する諸島。大島,三宅島,明神礁,鳥島など近年活動的な火山が多い。東京都に属し,伊豆七島は富士箱根伊豆国立公園に含まれる。

「鳥」と「山」もキーワードですから、「島」はもちろんそれに当たります。そして、各島名も意味深ですね・・・

豆南諸島
伊豆半島南方の太平洋上に弧状に連なる伊豆諸島,小笠原諸島の総称。いずれも富士火山帯に属する火山島。

豆南(ズナン)→ジュナン→受難・・・考えすぎだよね・・・そういえば陰陽道は道教の影響か北が好きみたいだけどな? 北、玄、キタ、きたろ〜(鬼太郎!)・・・(^^;)

十国峠
静岡県熱海市と函南(かんなみ)町の境,熱海峠の北方約1kmにある緩斜面。日金(ひがね)山とも。標高774m。地名は信濃や下総(しもうさ)に及ぶ10国が望まれるためといわれ,駿河湾,富士山,南アルプス,伊豆諸島などの展望がよく,箱根〜熱海間の自動車専用道路から頂上までケーブルカーがある。富士箱根伊豆国立公園に属する。

「かんなみ」は、なんとも神道を感じさせます。そしてズバリ十国峠、・・・

大島
伊豆諸島中最北端の島。面積91.05km2,東京都大島町をなす。全体が玄武岩質の噴出物からなる複式火山の山体で,中央火口丘は三原山。海食崖が続く東海岸を除き,海岸沿いに元町,岡田,波浮港(はぶみなと)などの港町,泉津(せんづ),野増,差木地(さしきじ)などの農林業集落が分布する。9世紀には波布比ソ命(はぶひめのみこと)が守護神として祀られ源為朝など古代より流罪の島であった。14世紀末には上杉朝宗の支配下となった。江戸時代は幕府領で,18世紀には甘藷の移植が行われた。東京,横浜,熱海,伊東,稲取から航路,東京国際空港から航空路がある。

大島は大ですから要チェックです。「はぶ」は村八分などが「はぶく」から来ている、とあり、はぶ茶(ハブソウ)は、市販品はほとんど、えびす(エビスグサ)茶だそうです。緩下剤,強壮剤の効能あり。福岡県北部の中間市、垣生(はぶ)公園は桜の名所。何故はぶと読むかは歴史のみぞ知る?

こんな事件もあります。

シーボルト事件

5年の任期を終えたシーボルトの帰国に際し,国禁の日本地図や(あおい)の紋服の携行が発覚,関係者が処罰された事件。シーボルトは江戸参府に当たって天文方を勤める高橋景保(かげやす)と知り,伊能忠敬の〈大日本沿実測図〉(伊能図)から景保が調製した縮図等を受領した。また紋服は土生(はぶ)玄碩から贈られたもの。

高橋とは工! すなわち天と地を結ぶ橋であり、影安とせず景保とするからには、景教?、日の京、太陽の宮殿を保つ、と言う意味になる。ちなみに、影は、三柱の神は日に対する影であることを表す。

「伊」には王を助ける賢人の意がある。伊能忠敬はそのまんま! 

伊豆も、そうなると出雲?!(シャレのつもりです)

島(インノシマ)

広島県南部の市。1953年市制。芸予諸島中の因島全域と西隣の生口(いくち)島の一部を占める。中世には村上水軍の根拠地であった。南岸に土生(はぶ)と言う土地有り。

囲みの中の大は、出来事の源である。

「はぶ」は、はじめてだったので、まだよくわからない。

利島(としま){十島?}
伊豆諸島中の一島。大島の南西約20kmにあり,東京都大島支庁利島村(4.12km2。297人,1996)をなす。海食崖に囲まれた火山島で,良港はなく,水は天水に依存。9世紀には阿豆佐和気命(あずさわけのみこと)神社が祀られ,14世紀末には上杉朝宗の支配となった。江戸時代の年貢は絹であった。ツバキの実とツバキ油の生産が主産業。東京港から船便がある。

9世紀→やはり和気清麻呂はここへ流されたのか? (注違うって!大隅に流されたの!)

阿豆佐→阿十佐→原初の十をたすける!?

三宅
伊豆諸島の一島。東京都三宅支庁三宅村(55.50km2,3922人。1996)をなす。中央の雄山(おやま)は標高813mの成層火山で,多くの寄生火山,爆裂火口がある。8世紀初めに伊豆に流された三宅麻呂に由来する島名という。14世紀末には上杉朝宗の支配下に入った。江戸後期には家数314,人数2324であった。火口原八丁平を中心とした牧畜,バター製造,ツバキ油精製などが主産業。1962年,1983年に大噴火した。

なんだってこんな離島で牧畜が始まったのか? 住み着いた人々の文化としか考えられないでしょう。では、誰が家畜を連れてきたんでしょう? 三宅と言えば、田道間守の・・・『また天皇、三宅連等の祖、名は多邇摩毛理を常世の国に遣わして、非時の香の木の実を求めしめたまいき』・・・

御蔵島(みくらじま){三蔵島?}
伊豆諸島の一島。三宅島の南方約20kmにあり,東京都三宅支庁御蔵島村(20.58km2,254人。1996)をなす。カンラン石などからなる火山島で,最高点は御山(おやま)(851m)。高い海食崖に囲まれ,南岸では480mに達する。9世紀には伊太豆和気命神が祀られており,16世紀には小田原北条氏の勢力下に入っていた。江戸時代には紬年貢を納入した。水の便はよいが耕地は少なく,豊富な天然林からのツゲ材が島最大の収入源。富士箱根伊豆国立公園に属し,東京港から定期船便がある。

伊太豆はもう解りますね。伊豆諸島は何故、東京都の管轄なんでしょうか?

八丈島
伊豆諸島の一島。伊豆七島の最南にあたり,東京都八丈町をなす。北西部に西山(八丈富士,最高点で854m),南東部に東山(三原山)の2火山をもつ火山島で,両火山の中部に低地があり水田がひらける。古代には優婆夷宝明神社が祀られ中世には奥山宗林が支配していたとされる。室町期には黄八丈・八丈物として本州島に知られていた。近世には流罪地で,宇喜多秀家などが流された

八もまた、神にまつわるキーワードです。「丈」は「十」の変形です。

優婆夷は、そのままでも優しい夷の婆さんです。男は優婆寒(ウバソク)と呼ぶ。

本朝法華験記
平安中期,1040年ころに比叡山の首楞巌院(しゅりょうごんいん)の僧鎮源によって書かれた法華経の効験説話(験記)集。3巻129話からなり,《日本往生極楽記》にならって聖徳太子(太子伝),行基からはじめ,優婆塞・優婆夷,異類まで,仏との距離の近い順に配列している。

優婆塞

サンスクリットupHsakaの音写。清信士(しょうしんじ),近事男(ごんじなん)などと訳す。三宝に帰依し,五戒を受けた仏教の在家信者の男子。女子は優婆夷(うばい)。日本のとくに奈良時代には民間の宗教者をさしていた。

 

「明」と言う字も奥が深いですよ。

 

どうですか?

楽しんでもらえてますか?

私は、オッペケペーなのでしょうか?

次回は昭和に跳びます。ちょっと怖いです。(^^)Violet monkey

つづく・・・

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