京極堂を2倍楽しむ方法その3
佐伯とは?
佐にはたすけるの意があります。左という字が、工(コウ)に添えた左手の意味で、工が大工に繋がると、想像は広がります。伯は最年長の人、兄という意味です。では、佐伯さんの兄とは誰だったんでしょう?
空海774-835
平安時代の僧。弘法大師。灌頂名遍照金剛。真言宗の開祖。最澄と並ぶ平安仏教の確立者。讃岐(さぬき)の人。俗姓佐伯氏。
空海の姪(めい)の子で円珍という人がいます。空海の血縁なのに天台僧になりました
円珍814-891
平安時代の僧。智証(ちしょう)大師。天台宗寺門(じもん)派の宗祖。讃岐(さぬき)の人。15歳で比叡(ひえい)山に登り,12年間修行,853年唐に渡る。帰国後,868年第5代座主(ざす)。天台密教の発展に寄与。ことに密教美術においては彼の作と伝えられる仏画・仏像が多く、俗姓和気(わけ)氏を名乗っていました。
この、和気氏というのが
吉備の古代豪族。もと藤野別(ふじのわけ)・磐梨別(いわなすわけ)を氏名とし,備前(びぜん)・美作(みまさか)の国造で同族は藤野郡大領。奈良末期に和気清麻呂,その姉広虫が中央政界で活躍。子弟教育の施設に弘文院があった。10世紀に医道を家学とし,室町末期に半井(なからい)氏を称する。
江戸時代の奥医師、典薬頭(てんやくのかみ)と呼ばれるのが、半井(なからい)と今大路(いまおおじ)の両家で世襲でした。
さて、奈良末期の和気清麻呂なんですが
和気清麻呂733-799
奈良末〜平安初期の高官。備前(びぜん)の豪族の出。称徳天皇に用いられた。769年道鏡が皇位につこうとした際,宇佐八幡の神託を受けて道鏡の野心をくじいた(宇佐八幡宮神託事件)。その奏上のため大隅(おおすみ)に流されたが,のち桓武天皇の信任厚く,平安京遷都などに功を立てた。
そして出来上がったのが平安京
794年から1869年東京遷都までの都(福原遷都を除く)。宮城(きゅうじょう)を平安宮(きゅう)という。現在の京都市。奈良時代の政界腐敗一新のため,桓武天皇は初め長岡京,次いで794年この地に都を移し,平安京と称した。唐の都長安を模した
この平安京遷都には陰謀のにおいがする。長岡京造営の中心人物で、藤原種継737-785が、造営途中の長岡京で暗殺された。首謀者は事件直前に死亡した大伴家持を中心とした大伴・佐伯両氏。
大伴の伴は『一体を二つに分けた片方、つまり相棒を意味する』、と漢字源にある。
これで和気清麻呂は桓武天皇に遷都を任されるのである。そのバックには秦氏が絡んでいると飛鳥昭雄・三神たける両氏はムーブック「秦氏の謎」に書かれている。
以上から和気氏とは、分ける、の意であることが推察でき、佐伯・大伴両氏から見て和気氏は、兄だったのではないかと考えてしまう。これら三氏のルーツは備前・美作に求められるのでは無かろうか? 詳しい方情報下さい。
さて、今回のテーマである、富山の薬売りはいつ出てくるんだ? と、お思いの方もいるでしょう。実は、和気氏、佐伯・大伴氏三氏のルーツの『備前』から『富山の薬売り』がスタートするのです。
薬売り
室町期の職人絵《七十一番職人歌合》にその姿が描かれる。売薬行商は近世に発達し,越中富山を筆頭に大和丹波市付近,備中(びっちゅう)総社周辺,越後西蒲原(かんばら)地方などを本拠とした。特に富山は,〈富山売薬履歴大綱〉によれば元禄期(1688年―1704年)ごろ富山藩主前田正甫の代に,備前僧万代(もず)常閑の伝えた反魂丹の製法により松井屋源右衛門へ調剤を命じたのが始まりとあるが,配置薬(置薬)という独特の販売法によって全国に販路を広げた。越後の毒消売りは慶長年間(1596年―1615年)に始まるといい,漁村の女の出稼ぎとして発達した。
以下おまけです。
神護寺は和気清麻呂が創建して、本尊が薬師如来立像で、空海の真言宗であることに注目しておいていただきたい。
閑谷学校は閑という字が、門(mon)に木であり、和気(わけ)郡閑谷(現,備前市)という地名が興味を引く。
神護寺京都市右京区梅ヶ畑高雄町にある高野山真言宗の別格本山。山号は高雄山。和気清麻呂の創建により高雄寺と称していたものに,同じ清麻呂の創建になる河内の神願寺を824年合併して神護寺と称し,のち1166年文覚(もんがく)が再興した。寺宝は多く,建築では大師堂(桃山時代),彫刻では金堂の本尊薬師如来立像,多宝塔内の五大虚空蔵菩薩像(いずれも平安初期)などがあり,絵画に藤原隆信作と伝える源頼朝・平重盛らの大和絵肖像画,平安後期の仏画を代表する釈迦如来像,両界曼荼羅(まんだら)(《高雄曼荼羅》),書に空海の〈灌頂歴名〉等がある。洛西の三尾(さんび)の一つとして紅葉の名所。
閑谷学校岡山藩の郷学。1668年,藩主池田光政(藩校閑谷(しずたに)学校を設立,学問興隆に努める一方,土木巧者津田永忠(ながただ)を起用し治水事業や新田水利開発,産業振興等を進め名君と称された。)が領内に設立した百数十ヵ所の手習所が,和気(わけ)郡閑谷(現,備前市)に置かれたものに1675年統合され,閑谷黌(こう)となった。岡山藩校と並んで発展し,武士だけでなく,一般庶民の子弟も収容しておもに朱子学を授けた。1870年岡山藩校に合併,1877年廃校。遺構(特別史跡)は学校建築史上貴重。
佐伯町岡山県南東部,和気(わけ)郡の町。中央を吉井川が貫流。中心集落の佐伯は右岸に沿い,岡山藩の家老土倉氏の陣屋の所在地,吉井川の河港として栄えた。マツタケ,かんぴょう,こんにゃくを特産。60.34km2。4290人(1995)。
厳島神社
広島県佐伯(さえき)郡宮島町に鎮座。旧官幣中社。市杵島姫(いちきしまひめ)命,田心姫(たごりひめ)命,湍津姫(たぎつひめ)命をまつる。創立は推古朝の593年(鳥居が海に建ってる神社)
つづく・・・