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庚申伝説考察-3

竜宮伝説

 

 

今回、又は今後、僕のレポートで被差別民についても触れますが僕は純粋に研究課題として扱っており、けっして他意はありませんのでご了承ください。

昨日は亀を考えてみましたが今日は竜宮から行ってみます。

竜宮とは竜神のすみか。海,川,井戸の底などにあるとされる美女と歓楽と不老と珍宝珍味の宮殿。インドでは竜宮へ如意珠を捜しに行ったり,ヘビを助けたお礼に招待される説話が多い。日本では浦島太郎や海幸(うみさち)・山幸の話が有名。売れ残りの花を水に投じた礼に竜宮に招かれる花売りの説話も広く分布。転じて海中または海上の楽園的な異郷をいう場合もあるということなので、竜や蛇から連想する邪悪なイメージではないみたいです。これでは聖書に対応しないかもしれませんね。しかし、前回、火男(ひょっとこ)の対としての亀(おかめ)であることが解りましたので、敵?又は味方としての亀、龍、蛇を考えてみます。

トンデモ解釈;乙姫 → 乙には「押さえつけて止める」と言う意味があるそうです。やっぱりへび?

トンデモ解釈;甲乙 → 亀と蛇?

さて、隠れ里で調べると、人里離れた仙境。鼠(ねずみ)浄土はネズミのすむという幻想の仙境,竜宮は水底の仙境で,椀貸(わんかし)伝説を伴うことが多く、椀貸塚,椀貸池などで頼めば膳(ぜん)・椀を貸してくれたという伝説で,全国に分布し,不心得者が返さなかったため今では貸さなくなったと伝える。その土地から実際に土器などの出土することもあるが,木地屋(きじや)のように椀を作る者との沈黙交易の説話化とみる説が有力とあります。

木地屋とは山中の木を切り,漆その他の塗料を加飾しない木地のままの器類を作ることを生業とした職人。木地師・木地挽ともよばれ,ろくろを用いることから轆轤師ともいう。近江国小椋谷(おぐらだに)の蛭谷(ひるたに)・君ヶ畑(きみがはた)を本貫地とし,惟喬親王を祖神とするという伝説をもつ。

その伝説が河原巻物と呼ばれる《三国長吏由来記》《蛭子末流由来記》《皮田由来書》など,各地の被差別部落に伝わる由来書(いずれも近世期の成立と考えられる偽文書だが,古代・中世の神話的説話的世界に接合して,現在の地位や特権の起こりを説くという構造をもつ。木地屋集団における惟喬(これたか)親王伝説などと同じく,伝承・説話的世界から,逆に現実を説いた例として注目すべきである。)に書かれています。

  トンデモ解釈;蛭子 → 
うろ覚えですが、日本神話の中で第一子に蛭子が生まれたので海に流した?と言う記述があったと思うのですが、蛭子とは漢字源で蛭子(えびす)とあります。えびすと言えば

蝦夷(えみし)の夷もえびすと読みますね。恵比寿様もなに                                       か関係が、?

さて、惟喬親王とは、文徳(もんとく)天皇の第一皇子で母の出自などのため皇太子になれず,大宰帥(だざいのそち)などを歴任した後,出家して比叡山麓の小野に幽居した。とあり竜宮伝説のルーツはこの母の出自にありそうです。   (比叡山です!)

古代日本の律令制では,中国にならって身分を良民と賤民に分け、賤民の総数は全人口の一割以下と推定されるそうです。律令国家の崩壊とともに良民に混入し、中世では皮革や竹の加工者,墓守,さまざまな芸能者など,職業によって賤視される人々が存在したが,中世社会全体がなお流動的であり,固定的な身分制度によって位置づけられていたとはいえず,非人(ひにん)・えた・散所(さんじょ)・宿(しゅく)の者・河原者(かわらもの)のほか,職能面から清目(きよめ)・御庭者(おにわもの)など,呼び名も多様であったそうです。しかし、穢多と非人は髪型も服装も違うらしいのです。そこで穢多について思い出すのは映画「もののけ姫」のたたら場で銃火器を作っていた包帯だらけの人たちです。おそらく、悪性の皮膚病患者達だったのでしょうか。その病故に穢れ視され、まさしく隠れ里に住む人々。隔離されるがゆえ血も濃くなり、悪循環を引き起こしてまうことも考えられます。しかし、これら高度な技術や芸の技を発展させ維持してきた人々のルーツや文化は謎だらけです。

ここからルートは幾重にも分岐していくのですが今回は散所から・・・

本所に対する用語で、古代・中世初期においては,律令制的な公的支配に属さなかった場所,国衙(こくが)の管轄外に存在した人々。中世社会の展開につれて,貴族・社寺に隷属して荘園制的支配下に入り,社寺の周辺や港湾,宿など交通の要衝地に集住。長者・長吏(ちょうり)にひきいられ,掃除,土木工事など過酷な雑役に従事するようになった。近世では,賤視された人々や,彼らの居住区をさすこともあった。山荘,散所,算所などの地名は各地にあり,山伏陰陽師(おんみょうじ)遊行(ゆぎょう)芸人説経の徒らが住んだ所という。とあります。

山伏、陰陽師がでてきました。まず、陰陽師とは陰陽道に基づき,卜筮(ぼくぜい),天文,暦数をつかさどり,吉凶災福を察知し,その対処のための呪術作法を行い,疾病治療などに技術的知識をもったもの。律令制度では中務(なかつかさ)省の陰陽寮に陰陽博士ら,大宰府に陰陽師を置いたが,のち諸国にも発生。平安後期から陰陽寮の頭(かみ)は安倍(土御門(つちみかど)),助(すけ)は賀茂(幸徳井(こうとくい))両氏が世襲,近世には諸国の数万の陰陽師が土御門流を称した。

この土御門家が天文・暦数・陰陽(おんみょう)道を司る公家(くげ)です。姓は安倍。平安中期の陰陽頭であった安倍晴明の子孫で,室町時代の有宣(ありのぶ)の時から土御門家を称したらしく,家職の陰陽道は1870年の廃止まで続いた。戦国時代には勘解由小路(かげゆのこうじ)家が滅びんとしたので,一時暦術を兼ねた。宮中の陰陽寮の執奏を掌握し,諸国の天文・暦道・天社神道・陰陽家をその支配下においた。

土御門家の祖に安倍晴明がいます。

平安中期の陰陽(おんみょう)家。天文博士。天文を見てあらゆることを予知し,識神(しきがみ)(陰陽師(おんみょうじ)が術を用いて駆使する神)を駆使したと《今昔(こんじゃく)物語集》などで伝える。《金烏玉兎集》は天文暦数の秘術を述べたもので,初期陰陽道の天文暦数の書。5巻。安倍晴明に仮託されるが園社(八坂神社)に関連する者の偽作らしい。中天竺の吉祥天源王舎城の牛頭天王が,巨旦大王の妨害に苦しみながらも,蘇民将来の助力を得て,后をめとるという筋を源流に,天文暦数の百科辞書的な項目をそれに関係づけている。《続群書類従》第31輯上所収。江戸時代に版を重ねた《\恟エ》3巻は仮名書き抄出書。

    トンデモ解釈;《金烏玉兎集》 → 言わずと知れたです・・・?

烏は飛鳥説では神の使い、猿田彦、イエス等との関係を重視しています。蘇民将来は読んで字のごとくです

蘇民将来もでてきました。護符の一種。八角柱の木片に〈蘇民将来子孫也〉と書いたもの。京都の園,上田市の国分寺,新発田市の天王寺等で発行,水沢市の蘇民祭は裸祭で護符を取り合う。厄病神(または牛頭(ごず)天王,武塔神,素戔嗚(すさのお)尊)が旅に飢え,宿をこうたが,金持の巨旦(こたん)将来は拒絶,貧しい弟の蘇民将来は茅(かや)の床に粟(あわ)の飯で歓待した。神はお礼に茅の輪と護符を残し,これを持つ者は無病息災と告げたという話に由来する。

厄病神をたすけたんですね。ちなみに茅の輪に関する祭りと言えば、大阪市住吉大社の夏越祭が 有名で,今は7月31日に行う。紙で作った形代(かたしろ)を神社に納めて祓とするが,牛や馬を海や川に連れていって遊ばせる地方もある。茅(ち)の輪をくぐらせて祓とする夏越神事も各地にある。

説明は不用ですね、飛鳥説へすんなりたどり着きました。

飛鳥説では相撲の土俵が屋根の三角、土俵の茅の輪、土俵の台形でメーソンのシンボルを表していると解釈

-------------------------------おまけ-------------------------------

1、神社の屋根にも目があります。五角形の梅鉢懸魚と猪目(いのめ)の形の猪目懸魚

2、家康が「徳川家康」と言う名前になぜしたのか漢字源でちょっと考えてみました。

  ものに備わった本性、五行では秦は水徳

  水、上の徳と合わせて「秦、秦氏」との解釈はいかがでしょう?

  

単語家族に廈、仮、胡とあり、胡に注目すると、「顎に垂れ下がったひげ」、「えびす(中国の北方や西方に住む遊牧民族の総称。北狄)」

  解字 庚+米 

   庚は庚申で祭る神は猿田彦です。

   米は八十人(やそ+ひと)=耶蘇人

これは米でなく水ですね、間違いです。

 

江戸時代には音義説など漢字の研究がされており、幕府も古文献を収集、研究しています。

幼名から徳川家康を名乗るまでにはかなり考えられていると推察すれば「我の祖は秦氏、その先に胡人であり、さかのぼって猿田彦(モーセorイエス?)を祭った耶蘇人である。」

かなりうがった解釈ですが、僕は家康の祖は餞民とにらんでいます。

家康の強力なブレインである天海僧正も調べるとおもしろいです。

 

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