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蛇と非、飛と奈

 

 と聞くと邪悪や邪険とか、邪なイメージで語られているものがほとんどで、ついつい先入観が働いてしまいますが、反面、聖書では知恵を表していたり、古代日本では神聖化され祀られたりしています。特に聖書では創世記に知恵の実をアダムとイブにそそのかして食べさせ、人間の原罪を作った邪な存在として描かれています。この知恵の実のなる木は生命の木や、リンゴに喩えられます。しかし、そのあとは、蛇と呼んだり、地を這うものと呼んだりしてまちまちです。ですから蛇と地を這うものは違う存在を指しているのではないかと考えるわけで、現にアロンの杖に巻き付いた蛇は知恵の象徴とされています。日本でも時代を遡るほど神として扱われます。神話の世界では八叉のおろちなどのように邪な存在ですが、これは紀記に記されたものですから後年の作でもあるわけです。紀記が藤原氏の作であり、蛇が物部氏の祀り神ですから、両者には対立の関係が伺い知れるのです。また、仏陀の陀も源字はウ冠にヒと書いてへびであり、「他」とは同義です。この「他」の字を調べると、解字では、人の右側にえらを張った蛇が鎌首を持ち上げているところが書いてあります。「他=ほか」が何故に蛇なのか考えますと、悟りを開いた仏陀が他のものとなり、それを蛇に例えたのではないかと思うわけです。いわば悟りを蛇と例えているのか?何故に蛇かは解りませんが、この辺は重要なテーマでもありますので詳しく掘り下げようと思っていますがとりあえずは蛇に対する先入観には疑問を持っていただければよろしいかと思います。

 と言う字なのですが、京極堂を2倍楽しむ方法その1でとりあげたのは呉音、漢音ではフェイ[fei] と発音しますので、へびと村をひびと村につなげてみたのです。さて、その意味は、(・・・にあらず、そしる、)等あまり良い意味ではありません。解字では(象形。羽が左と右とに背いた様を描いたもの。左右に払いのけるという拒否の意味を表す。)で、やはり良くはありませんが、権力に払いのけられたとか、元は同族だったのが右と左に背いたなどと解釈もできます。しかし、偶然ですが「飛」と言う字を調べているときに同義語に蜚(ヒ)を見つけたのです。蜚とはアブラムシのことなのでやっぱりなんですが、非は羽を広げたさま「飛」にもつながることは発見でした。下記にあるようにいわれのない差別だったかも知れません。

 飛と言うと、奈良の飛鳥が思い浮かぶのです。飛鳥と書いてアスカと読ませるのですから何かあるのでしょう。「飛」には(架空の。いわれのない。)と言う意味もあり、鳥」は酉や{ふるとり=雅のつくりの部分}があり、酉は猶太とか十(十二支)、{ふるとり}はよく見ると(うがった見方ですが)にんべんに十王ともとれますので、まとめると、いわれのない鳥、いわれのない十人の王、なんて見方もしてしまいます。飛鳥には斑鳩がありますが、班には分けると言う意味もあり、解字は(玉を刀で切り分けることを表す)とありますし、鳩は八幡神社の神の使いで、八幡様は秦氏とも関係してきますから、飛鳥と合わせると意味がつながってくると思います。斑鳩も変わった読みですが、鵤(いかるが)と言う鳥がいますのでやはり角(ツノ)もそのうち関係してくるのでは無いかな? このあたりの時代考証や聖徳太子についてもふれる予定なのでその時にまた追いかけてみます。陰謀が沢山あっておもしろい時代です。

 奈と言う字は親字が(木+示)でからなし、野生のリンゴ、と言う意味があります。やはり生命の木を思い浮かべてしまいます。また、いかんせば、という疑問を投げかける意味もあり、奈良の都とはいかんせば良い都だったのか、生命の木は良いぞの都だったのか解らなくなります。(^^)

 ここまできたら平安も・・・

平らはその字のまましか無いようです。安にはやすらかと言う意味といずくんぞと言う意味があり、後者で考えると、「どうして平らかであろうか、そんなことはない。」になります。

 まとめると、斑鳩、飛鳥、奈良、平安は

「角の鳥に分けられてしまった、いわれのない十人の王は、いかんせば良い?どうして平らかであろうか、そんなことはない。」ずいぶんはめられた人がいるようです。

 

お後がよろしいようで・・・   m(_ _)m     ちゃんちゃん!

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